久しぶりにシンガポールに出かけてきました。およそ8年ぶり。機内から外に出た瞬間、
シンガポール特有の匂いが鼻を突き、昔のことを思い出しました。そういえば、マーサー
(外資系コンサル)時代に0泊3日という無理なスケジュールも含め、数えきれないくらい
ここには来ていました。いつも何かしらの交渉事を抱えていましたが、今となれば全て
良い思い出です。
滞在中、マーサー時代の上司のカナダ人夫妻と会食しました。彼には在職中大いに影響を
受けました。私にとってグローバル・リーダーのロールモデルでもあります。上司とはいえ、
ほぼ同い年、実際には私の1歳年下。組織を離れた今は友人です。
私がマーサーを離れることを相談したときに、彼から“ごめん。力になれない。
来月辞めるから。”と衝撃の返し技をされたことを鮮明に覚えています。マーサー内に
政変がなければグローバルCEOになっていた人でした。退任後、彼はマーサーの親会社の
競合のアジア責任者に転身していました。
一年半前に東京で会ったときに、“今の仕事を辞めることにした。しばらく世界旅行でも
しながら休む。”羨ましいと思いつつも、常々ロボットではないかと思っていたくらい
ハードワーカーの彼がずっと休んでいるわけがないと思っていました。
さもありなん。昨年8月に著名なカナダの投資会社のアジア代表に就任したことを聞きました。
「カナダに戻る選択肢はなかったの?」
「あった。そういうオファーもあったよ。でも、カナダに戻る気は全くなかった。」
「なぜ?」
「まず気候。カナダは寒い。」とニヤリ。
「それよりも、シンガポールの多様性にすっかりはまったからね。」(これには奥さんもうなづく)
彼が出身のケベックはカナダを代表するフランス語圏。伝統的な地域です。
「不自由さはないが、決まりきっている。ここは何が起こるかわからない面白さがある。
シンガポールでダイバーシティに“スポイル”されたから、もう戻れないよ。」
ダイバーシティにスポイル。
人は経験を重ねるうちに、“世の中はこういうものだ”という観念を植えつけられていきます。
それが常識や規律となり、社会に整然さをもたらします。一方で、目に見えない規制が言動を
“適切な”範囲に収納し、それを超えたものを“非常識”とします。知らないうちに
世界観が狭くなります。
多様な環境、すなわちダイバーシティの中では違います。
ダイバーシティとは自分の常識や観念と異なる人たちの中にいることを意味します。
そこでは“違う”ことが当たり前です。この環境に身を置いた以上「それ(=違うこと)」を
受け入れないと身が持ちません。一方で、「それ」を受け入れた時点で、自分の許容範囲が
広がっています。
目に見えない規制が消え、自由に発想し、自由に行動できるようになっているはずです。
なにしろ、“適切な範囲”が広い。逆に“非常識”の範囲が限定的になります。この環境を
つくり、維持することこそ、ダイバーシティの実現に向けた取り組みだと思います。
この環境に慣れてしまうと“非常識の範囲”が広い世界には戻れません。
カナダに戻りたくないという彼の気持ちがよくわかります。
多くの日本企業でダイバーシティが叫ばれていますが、これは企業の問題ではなく社会の問題
だと思います。(企業努力だけでは限界があります。)
本当の意味でダイバーシティを日本になじませるとしたら、1)外国人に対してもっともっと
門戸を開放する、2)初等教育時代から多様な環境下に置く。3)世界中のトピックについて
触れるTV番組(天気予報を含む)をもっとたくさんつくる(“こんなところに日本人が!”
的なものではなく、普通のニュース番組で)・・・、こうしたことを実現してこそだと思います。
この実現に向けて、一番の障害になるのが、“支配下に置きたい”と思う意識。企業、行政、
政治のかじ取りをしている人たちの意識にそれがあるとダイバーシティは進みません。
彼らを“スポイル”するところからやりませんと。
おまけー1:シンガポール空港のSQの乗換カウンターでの出来事。
「バウチャーがもらえると聞いたのですが、どこで・・」
(首だけ向けて)「ふん?」
「あの、バウチャーが」
「インフォメーションカウンターの裏!」
このインド人女性の対応のあまりのひどさに“立腹”。しかし、次の瞬間、まだまだ自分は
ダイバーシティに“スポイル”されていないと反省。“接客時には笑顔”は日本の常識。
おまけー2:移動中に先日お会いしたスタンフォード・フーバー研究所の西先生の
「国破れてマッカーサー」を読破。戦争から占領下の日本の統治の裏にこんなことがあったのか、