Vol.701「自分を裏切らないための発言」(メールマガジン「人事の目」より) 

通るはずがない意見を言う人がいます。明らかにその場の世論とは違う意見です。
空気を読んでいたら言うはずがない意見です。しかしそれを声高に言う人がいます。
これまで、そういう記者会見を見かけると、よっぽど言いたかったんだろうな、
くらいにしか思っていませんでした。偏屈な人だ、とも思っていました。
しかし、違いました。そういうことではないのです。自分がその状況に置かれてわかりました。

とある件で自分としては、どうしても物申したいことがありました。それによって
結論が変わることを期待しているわけではありません。状況的に進めるしかないのも
わかっています。しかし、どうしても言いたい。言わないでいると自分がその案件に
同意したことになってしまう。それは自分の倫理観に反することになる。

一方、発言することで、明らかに自分が“面倒くさい人間”になることもわかっています。
しかし、自分の“尊厳”のために発言せざるを得なかった、のです。
これまでTVで見てきた方々もそういう心境だったのだろうと思いました。

「12人の怒れる男」という映画があります。

父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する様子を
描いた1957年の名画です。法廷に提出された証拠や証言は被告人である少年に圧倒的に
不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信しています。早く切り上げて
帰りたいと発言する陪審員もいます。全陪審員一致で有罪になると思われたところ、
ただ一人、少年の無罪を主張する陪審員が現れます。最初は面倒くさい意見を言うやつ
だという反応をする他の陪審員たちも、この陪審員の熱意と理路整然とした推理によって、
変わっていきます。

この一人だけ無罪を主張した陪審員もそういう心境だったのだろうと思います。
自分の心の中に生まれた小さな疑念。これを流れにまかせて言わないでいるということが
自分の倫理観に反することだったのだろうと思いました。全員を説得したいということ
からではなく、自分自身を裏切らないための発言からだったのだと思いました。

言ってもしょうがない。そう思うのが普通です。そういうことは生きているとたくさん
あります。ただし、それが自分自身の倫理観に反するようなことであったなら、
発言すべきだろうと思いました。周囲がどう思うか、それによって事態が変わるかどうかは
二の次です。自分を裏切らない。ここが大事だと思うのです。

これをやりすぎますと明らかに偏屈になります。世の中に物申す系の老害になって
しまいます。時間をかけて熱を冷まし、考えに考え、それでも腑に落ちないときには
発言する。そのくらいがいいと思います。

私はその案件に遭遇してから発言するまでに2日寝かせ、その間に信頼できる友人に
相談し、その上で発言しました。想定通り、結論は変わりませんでした。反対1。
それでもいいのです。

自分がその環境に置かれてみないとなかなか心情はわからないものですね。
世間から批判されながらも自分の主張を続けている人がいます。
自分を裏切らないためなのだろうと思いました。無実を訴える裁判はこの最たるものでしょうね。

おまけー1:「柴田さん、6月21日は都内ですか?」 知り合いからの電話です。「ん?なんで?」

「ネット上で6月21日に大地震が起こるっている記事がたくさん出ていますよ。
あの大阪の地震も関係あるんじゃないかって・・・。大丈夫ですかね。
未来から来た人も言ってますし・・・」 その瞬間に電話を切りました。

おまけー2:都内で個室を展開する高級料亭でびっくり、メニューが値段だけ。料理の説明が
ありません。季節のおまかせでもありません。セットメニューです。仲居さんに違いを聞くと
、“高いと高級な食材です”とのこと。隣の個室からは“おぬしも悪のよう。ぐはは」
というおじさんたちの笑い声。ここはそういう料亭なのでしょう。入るところ間違えた。
(お客様すみませんでした。)

おまけー3:「12人の怒れる男」もお薦めですが、
三谷幸喜さんの「12人の優しい日本人」も超お薦めです。

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