Vol.703「脱マトリョーシカの人材育成」(メールマガジン「人事の目」より)

マトリョーシカ。ご存知のロシアの民芸品です。胴体の部分で上下に分割でき、
その中に一回り小さい人形が入っています。その人形も分割でき、さらに一回り
小さな人形が入っています。これを数回繰り返すとびっくりするくらい小さな
人形にたどり着きます。そう言えば、幼少時、決まってこのお土産をくれる
おじさんがいました。(あのおじさん、仕事何だったんだろう。)

次世代人材を鍛える場の仕上げとして、「事業提案」「会社の構造改革提案」を
現職の経営陣に対して行うことがよくあります。提案のテーマを考えるにあたり、
私からはこういうインプットをします。

「10年後、自分たちが経営陣になっていたとして、今から手をつけておきたいこと、
変えておきたいことに着目して提案を考えよ。」

15年ほど前から同様のプログラムの“塾長”的役割を担ってきましたが、ここ数年の
受講生たちの姿勢が変わってきています。かつては現職の経営陣なんのその、
自分たちがやりたいことを提言するという、やや乱暴な内容が多かったのですが、
最近は変わってきました。聞き手を意識しています。社長がどう思うか、
会長がどう思うか。提案の内容も地に足がついた内容です。
“ぶっとんだ”内容は出てきません。

“10年後にはいまの経営陣はいないよ。今の上がどうではなく、10年後にいるのは
みなさんだから、その意識でテーマを考えなさい。”

“現在から10年後を見るのではなく、50年先から10年後を見て考えなさい”

私からは、しばしばこのようなアジテーションをします。しかし、なかなか枠の外には
出てきません。それなりの時間をかけると、提案の精度はそれなりに高いものに
なります。が、依然として枠の中です。

未来のことを現職の経営者の意向、ニーズの枠の中で考えていると現職者を
超える内容のものを創れるわけがありません。現職者はそれこそ24時間365日、
経営しているわけです。その緊張感に勝てるものを出せるわけがありません。
枠の中でやるからズタボロにされて終わり、または“よく頑張ったね”系の
優しい言葉をかけてもらって喜んで終わり、になってしまうのです。

これでは意味がありません。次世代を担うことが期待されている人材である以上、
今の期待に応えることはもちろんですが、未来を創ること、未来の期待に応えることも
次世代人材の使命であることを忘れないで欲しい。未来の主語は“私”なのです。

次世代育成プログラムに選抜されてくるような人たちは、同世代の中でも抜群に
優秀という評価の人たちが多いです。しかも、日常的に現職の経営陣と密に仕事を
しているような人たちです。そうなると、上の意向に応えることが染みついてしまっており、
未来のことであっても、つい上の掌の中で踊ってしまう。そうなると完全に
“マトリョーシカ”です。上を超える人材にはなれません。

現職の経営陣が驚き、この企画を考え提案している連中を頼もしく思う。
もっと鍛えたいと思う。そういう提案に仕上げてあげたいと思っています。
そのために、まず上の呪縛からの解放。ここが結構たいへんです。
脱マトリョーシカ人材育成です。

とあるところで、超優秀な若い世代の企画提案をほぼ毎週レビューしていますが、
この世代の方がこの“忖度”(正解を求める)傾向が強い。これは世代特性かもしれません。

8月から某企業で開始される、私が塾長の次世代人材プログラムの受講予定者の概要を
聞きました。おもしろい。みな、“すねに傷”がある人ばかりです。かつては将来を
嘱望され同期の中でもトップクラスの評価。しかし、何らかの問題に巻き込まれ“傷”を
負ったとのこと。こういう人選をしてくる会社の懐の広さを感じます。
さあ、彼らの大逆転シナリオの開始です。

おまけ:未来を考える上で体験すべきこと、聞いておくべきことのおススメです。

お台場の「チームラボ」 https://www.team-lab.com/

(敢えて解説しません。企画系の人は平日に仕事として体感すべし。)

「ホモ・デウス」 サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリ教授が語る「
今後の人類」。まだ日本語版の書籍はないようですが、90分のインタビューをYoutubeで
見ることができます。

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