「転がる石には苔が生えぬ」ということわざがありますよね。ちょっと調べてみたところ、この諺の起源は古代ヨーロッパに遡り、日本には明治時代以降に伝来したもののようですが、このことわざに2つの意味があることはご存じでしたでしょうか?
ひとつは「変化や移動を続けることで新しい経験や成長を得られる」という肯定的な意味。もう一つは「落ち着かずに動き回ると、安定や長期的な成果(苔)を得られない」という否定的な意味です。
「苔」をどう解釈するかで違います。前者は「苔」を停滞、束縛、古い価値観と捉え、後者は、安定、成熟、蓄積、信頼と捉えています。
同じものについて異なる解釈があるわけです。どちらもあり、だと思います。「絶対的な正解」はないのです。
先日、某企業の選抜人材のみなさんと著名な「アフリカの靴市場の開拓」逸話を引き合いに議論をしました。
“ある時、靴の会社が新しい市場を開拓するために、二人のセールスマンをアフリカのとある地域に派遣しました。到着した二人は、その地域の住民たちが誰も靴を履いていないことに気付きました。
一人目のセールスマンは本社に報告しました。
「こちらの市場には全く可能性がありません。住民たちは靴を履く習慣がありません。」
一方、二人目のセールスマンはこう報告しました。
「こちらは絶好のチャンスです!住民たちはまだ靴を履いていないので、靴の需要をゼロから作り出すことができます!」“
私からの質問は「みなさんの会社ではどちらの判断をしますか?」です。
前者は既存の市場の中で良い商いをする考え方です。後者は市場を創りながら商いをするという考え方になります。このメンバーたちの回答は「その地域に靴を履いてはいけないというルールがないこと、靴を買える経済力があることを条件に後者です。」というものでした。
よく考えられた回答です。ただし、その「ルール」も変わる可能性がありますし、経済力についても、今はなくともそのうちついてくる可能性もあるわけです。ですので、その会社の基本的判断は誰も靴を履いていない市場にチャレンジする、ということになります。
次の私の質問は「市場を創ることが方針だとすると、それは事業を考える上でどういうことを意味するか?」です。
市場を創るということは、その市場にとっての新商品・新サービスを提供するということになります。その商品・サービスが”誰も見たことがないが飛びつきたくなるようなもの“であったとしても、時間と金がかかるということです。従って、市場を創ることを掲げるとしたら、その覚悟をもっておかないといけないということです。その覚悟や余力がないとしたら、靴をはいていない市場にはチャレンジしないという判断をすべきだと思うのです。
どちらの選択が優れているということはありません。戦略的な意思決定です。ちなみに戦略とは「戦いを略す(省く)」ことですので。
「転がる石には苔が生えぬ」。私はこれを肯定的に捉える派です。つまり「苔」を不要物と解釈しているわけですが、一方で「君が代」の“千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで”の中で、「苔」を永続的な平和と繁栄の象徴としていることについても素直に受け入れています。
おまけ-1:「仁‐JIN」(大沢たかおささん主演)の2シーズン分を改めて一気に観ました。この中で「神は乗り越えられる試練しか与えない」というフレーズが繰り返し出てきます。本当にそうだと思います。
おまけー2:「仁-JIN」の中で目の下を切られたグラバーの手術をする主人公の南方仁医師の姿に感動する蘭方医たちのシーンに大谷翔平さんの活躍に感動するドジャーズの一流プレイヤーたちの姿が重なりました。
おまけー3:「仁‐JIN」の漫画の最終回とドラマの最終回が違うのですが、私はドラマの終わり方が好きです。大いなる余韻があります。
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