“上司という言葉も死語になるかもしれない”、8月1日のNikkeiのコラム(「再考することのススメ」)の中でそう書きました。
上司像がかなり変わってきています。私が社会人になったころ(昭和60年代)の上司というと、公私にわたって指導を仰ぐ存在というイメージでした。仲人をお願いする人もいました。仕事においては上司の言うことを聞いて仕事をするのが当たり前。上司に物申すことなどありない、という風潮でした。これが“昭和の上司像”です。
(コラムはこちら)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1977N0Z10C22A7000000/
それが変わりました。上司と部下の関係が一対一ではなくなっていきます。マトリックス組織により、複数の上司の下で仕事をする人が登場。また、組織を越えたプロジェクトに参加したり、直属の上司があずかり知らないところで仕事をする人が出てきました。最近では副業もあります。部下からすると、特定の上司との関係性がどんどん薄くなっています。今後この傾向はさらに進むでしょう。特に企画系の仕事ではすべての仕事がプロジェクトになるでしょうから、特定の上司という存在がいなくなると思います。
上司もプレイヤーとしての役割が増えたことにより、部下の管理だけをしていればよいというわけにはいかなくなりました。部下との関係も仕事仲間の延長戦上のような感じになりました。いまや指導者というようよりもメンター的存在であることを求められています。さらに上司と部下という関係が逆転することも珍しくなくなってきました。明らかに“上司”の概念が変っています。
現在50代以上の方は要注意です。“昭和の上司像”の中で育ってきていますので、部下たちがそのように自分に接してくれないことにストレスを感じやすいのです。部下の意見に耳を傾けることができない、意見されるとムッとする、部下を明らかに目下の存在として扱っている人は、昭和の上司像に囚われています。再考が必要です。
会社と社員の関係についても同じことが言えます。個人の事情などおかまいなし。会社が決めたことに社員は従うべし。これは昭和の社員像です。その概念に囚われていると、思ったように行動しない社員たちにしょっちゅう腹を立てていることになります。再考が必要です。
優れた社員が会社を選ぶ理由は「安定している」「給与が高い」などの経済的な庇護を求めるものから、自分がやりたいことが実践できるか、成長できるか、志に共鳴できるかに変わってきています。昭和の会社像に囚われた運営をしていると優れた人材が集まってきません。(間違えて入社したとしても、すぐに辞めます。)再考が必要です。
人事制度についてもそうです。“評価は上司がするものだ。”これは昭和の上司像の影響があります。組織の中で求められる行動をとっているか、専門性を発揮しているか、これを評価できるのは上司だけではありません。周囲の関係者全員です。要は周囲からどのように見えているか、それが現実です。また、目標管理制度(MBO)も合わなくなっています。これは半年や1年先の環境が変わっていないことが前提になっていますが、今や半年先は不透明ですよね。再考が必要です。
人事制度のフレームも年功から職能へ、職能から役割責任(職務)へ、と変遷してきていますが、社員だけが対象、しかも昇格という概念が基本にあります。副業者、業務委託などいろいろな立場の人と一緒に成果を出すようになった今、また、過去の経験が従来のようには効かなくなりつつある今、これまでの人事制度は合わなくなっています。再考が必要です。
おまけ―1:台風の日、10Fのマンションの窓にバッタが3匹襲来。保護しようとしたのですが、窓から離れず。なんで10Fに?と思って調べたところ、気流に乗って飛んでくることがあるとのこと。なるほど。
おまけー2:台風が去った後、夜中に蝉が鳴いていました。夜に蝉が鳴く?と思って調べてみたところ、一定の明るさと温度があれば夜でも鳴くそうです。また、タイでは蝉は夜鳴くものらしいです。なるほど。
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