950号「身体知(感覚知)を失ってはならない」(メールマガジン「人事の目」)

ヤバいです。便利さに甘んじていると身体知(感覚知)を失います。

身体知(感覚知)とは経験を通じた学びです。この身体知(感覚知)が直観を研ぎ澄ますと考えています。こんな経験はありませんか。作成された資料や出来上がった製品を見たときに、なんとなく違和感があり、精査してみたら間違いや捏造があった・・・ これは身体知(感覚知)による直観の教えです。

元メガバンクの方がこんなことを言っていました。「昔は電卓叩いて企業の財務分析をして融資の可否判断をしていたもの。いまは素晴らしい分析システムが出してくるデータを見て判断している。そのデータに潜むリスクが全く見えなくなった。勘が働く銀行マンが減ってしまった。」

また、某一級建築士の方がこう言っていました。「昔は図面を手で書いていた。それがキャドやデジタルで描けるようになってきたので、書かれていることを鵜呑みして、間違いに気づかない若手が多くなってきたように思う。」

すべての局面で自分の行動を決めているのは直観ですよね。ロジックはそれを説明可能にするものです。直観が働くから次のアクションが自律的にとれます。優れた人は“考えずに(時間をかけずに)”次の行動“を起こせます。だからスピードがあり、生産性も高いのです。誰でも自分が得意とする領域ではこの動きができるはずです。

身体知を通じて直観を研ぎ澄ますことこそ、自分を高める術だと思っています。近年の便利さは、私たちから直観を研ぎ澄ます機会を奪いつつあります。古くはIT、アプリケーション、最近ではAIにより、事務作業や企画業務の一部がどんどん効率化されています。関係する情報を入力すればアウトプットしてくれます。ChatGPTになるとインプットもいりません、質問するだけでアウトプットを出してくれます。これがヤバい状況をもたらしつつあると思うのです。

自分で考える、自分でアウトプットを創る、このプロセスを機械がやってくれます。これは便利です。楽ですし、時間もセーブできます。便利さを追求する動きは止まらないでしょう。一方で身体知を得る機会が減り、勘が働かない人になっていくことを怖れます。われわれが意識すべきは、この便利さを享受するものの、直観を研ぎ澄ます機会を意図的に設けることだと思います。

インプット~スループット~アウトプットの全工程を自分でやってみる。そこに何らかの感情の揺らぎがあると学びが自分の五感に刻み込まれ、身体知(感覚知)になる。私そう考えます。体験型ケーススタディ(Organization theater)は経営なるものを疑似体験することで経営に関する身体知(感覚知)を得る場です。OTを開発したときにはそこまで考えていたわけではありませんが、改めてそう思います。いわゆる経営管理に必要な知識を学び、テストなどの機会でアウトプットしたところで、そこに感情の揺らぎないと、いずれ忘れます。身体知(感覚知)にはなりません。

スキルの習得についても同じです。これからの学びの場はすべて、この身体知(感覚知)を意識すべきでしょう。AIが想定していた以上に周辺に入ってきているので、このことをより意識してプログラム開発を進めていきたいと思っています。(アラフォー以上の学びの場の「PHAZEリカレント」も結果的に身体知(感覚知)を意識したプログラム構成になっていると思います。)


おまけー1:2008年に公開された「ウォーリー」というピクサー映画で描かれていた人間を思い出しました。我々はあの方向に向かっているような気がしてなりません。

おまけー2:「罠の戦争」(カンテレ制作)をNetflixで観ています。面白いですねー。
草彅剛っていい役者ですね。



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