「当たり前」がそうではなくなってきている。ところがルールや規範が追いつかない。
突き詰めて考えてみると、なんで違反なのかもはや不明。むしろルール違反をした方が
ベター・・・。しかし、ルールは変わらない・・・。そうなるとルール違反者が大半
となり、なし崩し的にルールが改訂されていきます。時代を切り拓くような行動の
多くがルール違反からだったりします。時代の変化とはそういうものだと思います。
ルール違反とまではいかなくとも、「例外」が例外でなくなる、ということは
よくあります。ルールよりも実態を優先しようとしたら、例外を認めざるを得ない
わけです。気づいてみたら例外の方が普通になってきたというのがそれです。
この状態にあるのが「人事制度」だと思います。
多くの大企業の人事制度はこんな感じです。
職能資格制度、または職能資格制度を基盤としつつ管理職層に役割(職務)グレードを
導入。ライン以外の処遇職として専門職制度を設置。役職定年制あり。地域限定社員あり。
この制度は以下を前提としています。
新卒で入社。同じ時刻に出社して上司の指揮命令下で仕事する。勤続年数に応じて、
早い遅いはあるものの昇格。昇進する。同期のほぼ全員が初級管理職までは昇格する。
“うちの会社”という意識の下、ロイヤリティをもって定年まで勤めあげる。
これが機能していたのは事業構造が一定だったからです。当時は「同じ仕組み」を
拡散させ、かつ、そのための生産性を高めていけば業績が向上しました。優秀な人材は
社内ネットワークが広く、社内経験を積んだ人でした。そういう人が高く評価され、
昇格・昇進しました。職能資格制度はそのために最適な制度でした。
その後、社内ネットワーク、経験を積んだだけでは成果を上げることが難しくなり、
会社全体の事業も停滞します。膨張する人件費の抑制を目的に導入されたのが
「役割(職務)グレード」です。これにより「正当な理由・合理性」により、
給与を下げる仕組みが導入されました。
それまで「生活保障の原則」「労働対価の原則」という考え方で設計されていた
給与制度に「社内公平性(年齢や社歴に関係なく同じ仕事なら同じ給与)」
「外部競争力(他社で同様な仕事をする人と同等な給与)」という考えが導入されました。
これにより、同じような仕事をしている人を外部から採用しやすすること、
または外部から引き抜かれないようにすることが図られました。
現実的には前者のみが適用されたのが実態ですが。
しかし、これは人の成長や会社を成長させることを目的とした人事制度ではありません。
どちらかというと管理目的です。事業戦略は反映されていません。このため、
事業の現場で奮闘する人たちに人事制度やその運用元の人事部に対する不満が常にある
というのが現実です。“人事制度が邪魔をしている”という声をよく聞きます。
副業解禁は劇薬です。「資格制度」を崩壊させると思います。副業解禁でより
スポットライトが当たるのは「優秀な人」です。社内外で「力量」で評価されることが
当たり前になってくると、本人にとって社内の資格(位置づけ)の意味が薄れます。
社内での昇格や昇進は“どうでもいいこと”になっていきます。
しかし、この動きは止められないと思います。私も副業解禁には賛成です。
(来週に続く)
おまけー1:満員電車の中のことです。「あ、僕インフルなんで。」
その瞬間、その若者の周辺が空きました。(お、これ使える)と思ってもやらない方がいいです。
次の駅でその若者は降ろされてました。
おまけー2:呼び出したタクシーが通知よりも15分遅れてきました。
“すみません、すみません。ナビが道間違えまして” 見るとナビが破損しています
。助手席には破損した欠片が・・。“何度も間違えるので指導しました。”
運転手さんの手袋にも破損した欠片が・・・(このタクシーに乗って大丈夫か)
おまけー3:「会長って何するんですか?」よく聞かれます。この哲学的な問いの答えですが、
「(会社の発展のために)好き勝手する」が最も合っているかもしれません。