インディゴブルーの人事手帖
第一回「アラフォー社員、隠居の怪奇」

「菊池 君、40歳隠居化って聞いたことがありますか?」

 全役員参加の経営会議の後、社長の飛田から呼び止められた。

「22歳で超優秀、28歳で優秀、35歳で普通、40歳で隠居。インディゴブルーの柴田会長から言われた。3年前から選抜人材の見極めを、オーガニゼーション・シアターというメソッドでお願いしているじゃないか。うちの社員がそう見えるそうだ」

 オーガニゼーション・シアターとは自社製品のトラブル、競合同士の合併等ビジネス上の修羅場を疑似体験するインディゴブルー社独自のプログラムで次世代人材の見極めとリスク対応のトレーニングとして採用していた。

「柴田会長によると、40歳隠居化はうちだけの話ではないそうだ。日本の大企業に共通してみられる傾向らしい。菊池くん、人事担当役員として詳しく話を聞いてきてもらいたい」

 40歳隠居?そんなことはない、と思いたい。菊池が電機メーカーのフジタケに入社して25年。アラフィフと言われる年代になった。これまで隠居なんて考えたこともなかった。昨年執行役員に昇任。同期では営業の山際と自分だけだ。目の前の仕事に必死に取り組んできた。飛田をはじめ、経営陣にも隠居のいの字も感じられない。社長の飛田は67歳。むしろ隠居の話が出てもおかしくない年齢だと思うが、誰よりもバイタリティがある。その行動力と先読み力には舌を巻く。本人次第で年齢は関係ない。

「年齢は関係ありませんね。40歳というと知力、気力、体力ともに充実期のはずなのですが、隠居モードになってしまっている。大きな課題ですね」

 インディゴブルーの柴田会長とお会いするのはこれで3度目だ。物腰は柔らかく、笑顔を絶やさないが言うことは厳しい。

「隠居モードってどんな状態のことですか?」

「一言で言うと、リアクティブ。自分から新しいことにチャレンジしない。学習しない。指示待ち。これが代表的な特徴です」

「うちのアラフォー社員がそんな感じに見えますか?」

「見えます」

きっぱりと言われた。

「OT(オーガニゼーション・シアターのこと)に参加している人たちはさすがに優秀です。ただ、自分たちで未来をつくっていこうとする強さがありません。想像力も足りない。さらに言うと、飛田さんや菊池さんのような、強烈な当事者意識も見受けられない」

 まいった。当事者意識についてはその通りだ。このことは社長の飛田からも再三言われていた。
「議論は得意。知識も豊富です。ただ、身体が動きません。文句は言うがなんとかするわけではない。まさに隠居老人そのものです」

 「恥ずかしながら、おっしゃる通りだと思います。先日も経営会議で同じような指摘がありました。当事者意識を高めるような研修はないのか、という意見もありました」

「当事者意識は研修で高められるようものではないですよ」 

柴田会長が笑った。

「当事者意識が高まったような感覚を持てるプログラムはありますが、職場に戻ってもそれが持続することはほぼありません。職場での当事者意識づけは職場でやりませんと」

 確かにそうだ。以前、柴田会長から、人材育成の70:20:10についてお聞きしたことを思い出した。人の成長の70%は何を経験したか、20%は誰と仕事をしたかによるもので、研修や勉強の影響は10%程度と聞いた。自分自身を振り返っても、20代の出向先での経験、課長補佐時代にお世話になった課長との出会い、これが今の自分をつくっていると思う。

「隠居モードとおっしゃられた連中ですが、弊社の中ではトップクラスの人材です。だからこそ、次世代育成プログラムに参加させているわけです。この連中が隠居ということになりますと、弊社の将来がありません。どうしたらよいでしょうか?」

「これは御社だけの問題ではありません」

 柴田会長の表情が険しくなる。

「日本を代表するような大企業に多かれ少なかれ同じような傾向があります。大企業のもつ何かが有能な人材をスポイルしているのだと思います」

「大企業の持つ何かがスポイル・・・それは何でしょうか?」

「せっかくなので、一緒に考えていきませんか?」

 いつもの柴田会長の表情に戻った。

「今回のOTに参加した10名の入社以降の経験、日常的な仕事の進め方についてヒアリングしてください。その際、ぜひ聞いておいていただきたいことがあります」

「はい。何でしょうか?」

「挫折経験です。全力で立ち向かったにもかかわらず叶わなかった事例を聞いておいてください。それと…」

「それと?」

「仕事以外で何をしているのかを」

「仕事以外?趣味ってことですか?」」

「趣味でも構いません。もちろん、家事でもなんでも。仕事以外の時間の使い方を聞いてみてください」

「先日のOTいかがでしたか?」

 次世代人材育成プログラム参加者への個別インタビューが始まった。OT受講前にも短いインタビューをしているので、参加者たちと1対1で話すのはこれで2度目になる。

「いやー、正直疲れました。最初は研修だと思って参加していたんですけど、気が付いたら結構のめり込んでいました。ただ、ボロボロでしたけどね」

 経営企画から参加した水田が苦笑した。水田はまだ37歳。参加者の中で最年少だ。

「もう一回やりたいですね。リベンジです。自分がいかに動けないか痛感しました」

「動けないってどういうことですか?」

「終了してから、柴田さんに“水田さん、わかってたでしょ。なんで発言しなかったんですか?”って言われてドキッとしました。そうなんです。わかってたんです」

「全く手も足もでなかったですよ。完敗です」生産畑のエースの片岡の弁だ。

「私は生産畑を歩いてきましたので、ケースで問われた会社の経営に関することは全くイメージできませんでした。正直、財務諸表だってしっかり見たことはありません。会社から指定された“財務管理”は受講しましたけど、あれはお勉強で実践では使えないですね」

 生産担当常務の荒木によると片岡は自分の後継者候補という。どんな課題を与えてもしっかりこなしてくる逸材。それが片岡の評価だった。インディゴブルーのアセッサーのコメントを見ると片岡は次世代経営者候補としては「?」とある。

「柴田さん、片岡ですが、現場での評価はとても高いです。担当役員からは自分の後継者候補だと言われています。このアセッサーの“?”という評価はどういう意味でしょうか?」

 OT参加者のインタビューが半分程度終了して、菊池は柴田会長との再度の面談に臨んだ。今回はZoomを使ったオンライン面談だ。

「“?”というのは片岡さんがなぜ次世代経営者候補としてノミネートされているのかわからない、という意味です」

 厳しいコメントだ。生産担当の常務の荒木が聞いたら間違いなく気分を害するだろう。

「厳しい言い方をして申し訳ありません。片岡さんが生産畑というと、推薦者は荒木さんですね?」

「そうです」

「荒木さんにもお話した方がよさそうですね。荒木さんからすると片岡さんはとても優秀な部下なのだろうと思います。ただし、部下として優秀ということと、自分の後継者として優秀ということでは意味が違います。ただ、どの会社でもそうなんですが、片岡さんのような方がノミネートされ、そのまま後任になってしまうこともあります。私はこれを“マトリョーシカ現象”と呼んでいます」

「“マトリョーシカ現象?”」

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