インディゴブルーの人事手帖
第六回「今よ“人事”のスポットライト」

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「吉田さん、掛川くんから話を聞いた。彼は執行役員を外されるそうだね。部門内の執行役員人事は経営会議報告事項だ。どういうことか、説明してもらえるかな」

 経営会議の冒頭、社長の飛田が口を開いた。

「はい、今日の経営会議でご報告しようと思っていました。次世代経営陣の発掘と育成のためです」

「そういうことなんだろうけどー」

誰かが発言中に飛田が口をはさむのは珍しい。菊池は緊張した。

「掛川くんはいわば営業のエースだ。今回の内々示に彼は正直戸惑っている。いや、というよりも怒っていると言った方が正確かな」

吉田は話を続けた。「この場でも何度か議論しましたが、未来のフジタケを担えるような人材を早く見つけて、経験を積ませる必要があります。掛川さんは優秀ですが、年齢、仕事のスタイルを見るに未来を担う人材ではありません。思い切って40歳前後の人間に交代させようと思っています」

「ちょっといいですか」

製造部門を管掌する荒木常務が手を挙げた。

「若い世代から抜擢することについては異論ありません。可能性がある人間にはどんどん大きな仕事をさせた方がいいと思います。仮に失敗したとしても、そこから学んでもらえばいい。ただ、これまで貢献してきたベテランの処遇についても配慮が必要だと思います。掛川さんは私もよく知っています。まさにフジタケの営業をけん引してきた人材だ。その人が不満に思うような進め方はいかがなものかと」

「もちろん、掛川さんのこれまでの貢献については私も認めます。彼を執行役員に引き上げたのも私です。そこはよく分かっています。ただ、彼はこれからの人材ではありません」

「そこまで言い切るのは……」荒木が眉をひそめた。

「今後のフジタケに必要なことは新規事業の立ち上げ・推進です。このことは経営会議でも何度も話しましたよね。掛川さんは新規事業をプロデュースするタイプではありません」

「掛川さんをこれからどう処遇するんですか?」CFOの山際が質問した。

「まだ、決めていません。彼と相談しようと思っていましたが、今回の構想を話したら彼が私の部屋を出ていってしまいましたので」

「菊池くん」

山際から突然声がかかった。

「私も掛川さんから相談を受けた。彼は人事権の濫用、パワハラだと言っていた。人事担当役員としてどう思いますか?」

全員の目が菊池に注がれた。一気に緊張が高まった。

「退職強要しているわけではありませんし、現時点では報酬について大幅に減額すると言っているわけでもないでしょうから、人事権の濫用とは言えないと思います。ただ……」

「ただ?」山際が促した。菊池はその表情から山際の意図を理解した。飛田も荒木も同じことを言いたいはずだ。

 菊池はインディゴブルーの柴田会長との会話を思い出した。

「現職者を切ってはいけません。むしろ、現職者には担当役員と一緒に世代交代を演出する側に回ってもらうようにしてください。」

演出。柴田会長は演劇用語をよく使う。思えば柴田会長との接点は幹部候補を対象としたオーガニゼーションシアターだった。プロの役者が扮する登場人物とのケーススタディ。これもある意味で新しい形の演劇だ。

「フジタケの今後のリーダーシップを変えた方がいいと経営が思っていること。その必要性については現職者も理解できるはずです。その上でどうしていくのがよいか、現職者にボールを投げてしまいましょう。まずは、現職者に考えてもらうようにします」

「具体的には営業本部の掛川さんですが、掛川さんに自分の後任について考えてもらうということですか?」菊池は確認した。

「はい。ただ、そこに至るまでのプロセスが肝です」

「プロセス……」

「はい、ご本人に納得いただくために心理的なプロセスを踏んでいただく必要があります」

心理的なプロセスの話を聞いて、大学時代に受講した「死の哲学」を思い出した。余命宣告されたとき、人は自分の死を受け入れるまでに心理的なプロセスがあるというような話だった。会社人間にとってみると、交代宣告は会社人生の死と同じような感覚なのかもしれない。

「まずは、これからの東日本統括担当の執行役員というポジションに求められるのはどのような人材か、これを考えてもらいます。この段階では一般論です。次に、適任者について考えてもらいます。社内にいるのか、社外から獲得しないといけないのか。客観的に考えてもらいます。その後に、いつ交代すべきか。ここで初めて当事者として自分を見つめてもらうようにします」

「今回もめてしまっているのは……」

「吉田さんが、いきなり交代論を話してしまったのではないでしょうか。その時点で、掛川さんは“切られた”と感じたんでしょうね。感情的な反応になってしまったのはそのせいじゃないですかね」

 吉田さんは常に結論を先に話すタイプだ。おそらく今回も交代を先に話したのだろう。柴田会長が続けた。

「ビジネスの世界では結論を先に言うのが鉄則です。ただ、文脈を共有していない場合に結論から言われても受け入れられないという感情が先に立ってしまうことはよくあります」

経営陣を前に菊池は続けた。

「掛川さんは会社としては余人をもって代えがたい人材であると思っていると伝えた上で後継人事について一緒に考えてもらうのがいいと思います」

「掛川さんは大事な人だよ」

 吉田が眼鏡を上げながら答えた。

「そうじゃなければ大事な仕事を任せてはいない」

「吉田さん、そのことを直接伝えてもらえませんか。その上で一緒に未来のフジタケを支える人材を発掘しよう、と掛川さんに話していただけませんか?」菊池は言った。

「その通り!」山際が拍手してくれた。荒木が続き、飛田まで拍手してくれた。なんだかぐっと来た。

「そうだね。わかった。ただ、ちょっとやり方を間違えた。菊池くん、掛川さんとの面談に同席してくれるか?」

「もちろんです!」

 こうしてフジタケの幹部大改革が幕を開けた。その後、菊池は子会社の社長に転身した。経営者としての修行が始まるー。(続く)

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